新潟県上越市に所在する 松ヶ峯カントリー倶楽部は、 長野から直江津へ繋がる旧JR信越本線の関山駅(現在はえちごトキめき鉄道のはねうまライン)から車で10分足らず。

妙高の雄姿を仰ぐ絶景、理想的な起伏と高低差、そして松の大木に包まれた高原の地。
性格の異なる三つのハーフはどの組み合わせでもほぼ同じ難易度の27ホールとなる、戦略的なコース。


妙高山が池に映る神奈5番パー3。
『ノースベリックの15番 「レダン」を基本に、
オーガスタ・ナショナルの16番と
太平洋クラブ御殿場の17番が重なった美しい名ホール。』(大塚和徳)

 
開場は昭和44(1972)年、原設計者は安達建設で活躍した鈴木正一である。鈴木は第二次大戦後、安達建設に加わり、 井上誠一、佐藤儀一、上田治といったトップクラスのコース設計家から学んで、多くの名コースを残した。松ヶ峯はその一つである。
 その後、オーナーの海老原 寿人が入念な近代化を行い、現在に至っている。海老原は英米の いわゆる名コースを実際に訪ね歩いて知識見識を深めた。自分の目で確かめて学んだ点が立派である。この努力が、若いながら、地に足の着いた実力となっている。設計家 活動は自己グループ内に留まるが、その実力・実績は注目に値する。新設の名作は、青森県の「夏泊リンクス」である。

妙高 – myouko –

「妙高」はどのホールも良いが、中の3ホールが魅力的である。

4番はやや打ち上げで、バックから310ヤードと短いパー4。 グリーン左の大きなバンカーが課題となる見事なドライブ&ピッチである。5番パー5 は一転して距離がモノをいう。第2打からは豪快な打ち下ろしで快適。
続く6番はティ ショットが池越えで緊張を誘う。 プレーのリズムもよい。ここはグリーンまで上りが続 き、グリーンも一癖ある。9番パー4も厄介で、右ドッグレッグ曲がり目のフェアウェ イバンカーに惑わされる。これを避けるには、ティショットからルート、方向、距離の 判断が重要である。バランスのとれた9ホールと言えよう。

黒姫 – kurohime –

「黒姫」はパー3とパー5が印象的。

 パー3では、2番は長いクラブを求め、縦に長く奥に高いグリーンはピンの位置で狙い所が変わる。 4番は距離はないが、方向性とクラブ選択の精度を問う。パー5では、6番はバックから565ヤードと長く、緩やかな上り。フェアウェイもグリーン周りもバンカーの位置と形状が見事である。8番は距離が ない代わりにフェアウェイが左右に蛇行し、ハザードを縫ってのショットが続く魅力的なホールである。
 このハーフはすべてのグリーン周りに近代化の手が加えられて美しい。

神奈 – kanna –

「神奈」は個性的なホールが多い。
 1番パー5と9番パー4がオーソドックスでタフ、 その他のホールはすべて面白い。3番パー4は変則型 「ケープ」のティショットで始 まり、第2打はショートアイアンの打ち上げ。5番パー3は「レダン」の形状にオーガ スタ並みの池が絡む。ここに映る妙高は逸品である。8番パー5はバックからでも 480ヤードしかないが、短いロングホールの見本で、第2打の左ドッグレッグからは 頭脳プレーとショットの正確性がテストされる。特にグリーン周辺は要注意である。

選・文/大塚和徳

おおつか・かずのり/ゴルフ史家。

1934年生まれ。東京大学経済学部卒、米国でMBA取得。英ターンベリーホテルの経営、ジ・オックスフォードシャーGCの建設に携わる。海外で回ったコース350以上、米ゴルフマガジン誌「世界ベスト100コース」の選定パネリスト。英ロイヤル・ノースデボンGC、英ロイヤル・セント・デイビッズGC会員。著書に『ゴルフ 五番目の愉しみ』(文春新書)、『「ゴルフ千年」-タイガー・ウッズまで』(中公新書ラクレ)、『世界ゴルフ見聞録』(日本経済新聞出版社)など。


コースの生い立ち

『美しい日本のゴルフコース』(ゴルフダイジェスト社、2013)

ー 旧陸軍演習場跡地を見た
海老原 亀久寿は
「ゴルフ場適地」と 直感した

コース予定地はなだらかな丘陵地
昭和43年に造成着工

昭和43年春頃、海老原 亀久寿は、仕事のひとつだった松ヶ峯遊園の園場整備に出かける途中、正面に越後富 士といわれる妙高山を見晴らす平坦な丘陵地に足を止めた。そこは戦前 は陸軍の演習場、戦後は払い下げられて、中郷村(現、上越市) の共有地、 広さは約30万坪、「景観と地形とも にゴルフ場適地だ」と直感した。 安達建設に相談 設計部長・鈴木正一 が現地視察をして、建設が決定した。

昭和50年頃はまだ木が育っていない

昭和43年11月15日、寿観光開発㈱、 資本金2500万円、代表取締役・ 海老原亀久寿。 共有地だったので約22万坪の土地契約 (8借地)も曲折少なく確保された。施工は安達建設、下で寿建設が動いた。 コース設計 はもちろん鈴木正一。井上誠一に7 年、佐藤儀一の下で3年設計の仕事 を見てきた手腕には定評があった。 すべてが順調の中でやや足踏みしたのが、1口20万円の第1次会員募集 だった。地元上越地方には、ゴルフ人口が少ない。助けたのが地元高田市の皆川製菓社長・皆川進 (初代理事長)、野尻湖畔でのリゾート経営経 験者・池田博隆(会社専務)のふたり だった。

開場から昭和49年まで
クラブハウスは

払い下げられた学校体育館だった

昭和44年10月 9ホール3550yard /パー36。昭和47年8月1日、18ホール 7070yard /パー72 を本開場。 松ヶ峯CCは、平成3~5年にかけて、海老原寿人(当時副社長) 設計 で、神奈コース9ホールを増設し27 ホールとしたほか、先行の18ホールも大改造して「丘陵地だがフラットで広々と開放的」と、人気は上越から県境を越えて長野県北のゴルファーにも広まったという。

開場記念日に始球式をする
初代理事長の海老原
亀久寿